【SDGsの注目商品】お米プラスチックで海を救う〜あさチャンより〜
2月22日、TBSのあさチャンのSDGsコーナーで、
子供用品メーカーのピープルがだしているお米のおもちゃが、廃棄物を減らす良い取り組みとして紹介されていました。
こちらの商品、お米なので赤ちゃんがかんでも安心なのはもちろん、お米の香りがするので、 離乳食に親しみやすくなる効果も期待できるそうですよ。
可愛いのでギフトにもよいですね。
番組では、新潟県南魚沼市で、食べられなくなったお米を3〜4割使ってプラスチックを作る様子が紹介されていました。
お米に樹脂を混ぜ、お米由来のプラスチックを作っていました。
お米は、温めると柔らかく、冷めると固くなりますが、
プラスチックも同じ性質なんだとか。
この約3割を使ったお米のプラスチックは、現在様々な商品にかわっています。
例えば、以下のような商品が番組で紹介されていました。
お米のオカリナ
その他にも、お米で出来たレターカッターや植木鉢、お米プラスチックの買い物袋、また、意識の高いホテルなどは、歯ブラシやヘアブラシもお米プラスチックをつかっているようです。
お米で世界を変えたい
海洋プラスチックゴミをなくしたい
という思いで「バイオマスレジンHD」さんは取り組んでいるようです。
商品を選ぶとき、当たり前にいままでの商品を選ばず、少し周りの並んでいる商品やそれについている、「リユース」「エコ」のマークを確認し、購入するのも、よいのかもしれません。
教育だけじゃない。未婚のシングルマザーだったモンテッソーリさんに注目すべき理由〜SDGs発想を120年前に持っていた〜
藤井聡太さん
アマゾンの創業者ジェフ・ベゾス
アーティスト テイラー・スウィフト(個人的にデビューからの大ファン)^^
これら多くの著名人の共通点は、
今話題のモンテッソーリ教育。
もうすぐ映画『モンテッソーリ 子どもの家』も公開されるので、より親や教育者の間ではモンテッソーリ教育に関心が高まっているのだと思います。
私も、娘を育てるにあたり、モンテッソーリ教育を勉強しているのですが、
その中で最近すごく思うのが、教育だけでなく、様々な現在の社会問題に、
モンテッソーリさんそのものがとても注目すべき存在なのでは、という点。
特に東京五輪にも森会長の「女性は話が長い」発言で問題で影響を与えている女性蔑視問題、
SDGsでも重要とされている社会格差や差別をなくすこと、
これらをまだ1900年代の初期に変えようと努力していたのが、モンテッソーリさんなんですよね。
モンテッソーリは、無数の直談判の末、ようやく初めで学校で医学を学んだ女性
マリア・モンテッソーリさんとは?
マリア・モンテッソーリ(1870-1952)
マリア・モンテッソーリは、1870年8月31日にイタリアのイタリアの中上流階級の一人娘として生まれました。
5、6歳のときに、イタリアローマに移住しましたが、引越しの目的は、マリア・モンテッソーリに最良の教育を受けさせるため。
父親は彼女に学校の先生になってほしいと望んでいたようですが、理数系が得意だったので、女性には珍しく工業学校へ進みました。
この時代、女性が家庭で主婦とならない場合、教師か看護師にしかなれなかったそうなので、とても大変だったようです。
男子校のようなところだったので入るのも相当苦労したそうですが、すぐに辞めてしまい、その後はより、生物学への興味を深め、医学を勉強しだします。
この時代は、まだ医学は女性向けではなかったので、大学入学は断られたのですが、
意志が強いマリアモンテッソーリさんは、医学者代表のところを何度も訪ね、交渉
そして、交渉、となんども何度も繰り替えし、最終的に入学が許可されました。
彼女の父は医学部に行くのに反対しており、お母さんは応援してくれていたそうです。
入学後も、たった一人の女性だったので医学部は大変で、
男性の集団を相手にしていた彼女は、からかいやいじめのの対象とりました。
また、女性だったのでという理由で解は、男子に混ざってできず、ひとりでやるなど、大変な思いをしたようです。
しかし、どんな困難があってもとにかく突き進む人(かっこいい!)モンテッソーリは、
フランスで最初の女性医師の一人になりました。
その後、そのような男性の中での努力が認めたれて、
ベルリンで開催された女性の権利を考える国際会議のイタリア代表として、ベルギーに渡り、女性の地位を上げることの大事さを訴え、女性も男性と同じ給料ということを強調したそうです。
その後も、生物学、心理学、文人類学などを幅広く学び
1897〜1898年頃には、ついに医学部の精神科のクリニックで、助手として働きだしました。
この一連の苦労からも、男性社会で女に対する差別の中で、女性として一人戦ってきた姿勢がわかりますよね。
しかしそれだけではありません。
マリア・モンテッソーリは、実は未婚のシングルマザーとしても苦労し、約10年間自分の子供と一緒に暮らせなかったという苦労をした人。
その後、息子のマリオ・モンテッソーリと共に暮らしだし一緒に世界にモンテッソーリ教育をひろめましたが、それまでは別々に暮らしていたのです。
また、クリニックでは障害を持った子供たちを目の当たりにし、非人間的な扱いにショックを感じ、どうにかそれを変えようとしました。
当時、障害を持った子供は、健常児と別に隔離されていたそうです。
1898年、マリアモンテッソーリは、学会で病院にいる障害児とされているこの手当には、医学的介入だけでなく、教育介入が必要だ、障害がある子供は社会に戻さなくてはいけない、と訴えました。
その後、精神障害のある女の子の面倒を見ることになるのですが、
マリアモンテッソーリは医者であり教育者ではなかったので、
フランスで、精神的な問題をするのに関わっていた、イタールとセガンの教育を参考にしました。
イタールは、アベロンの野生児を育てた人として知られており、また、耳が聞こえない人、しゃべることが難しい人の教育者としても有名だった人物です。
セガールはイタールの弟子で、感覚教具を開発して教育に関わっていました。
ちなみに、ちょうどこの頃先に紹介した息子を出産したようですが、この時代、未婚の母は禁じられていた存在で、それでも出産した彼女の人としての意思の強さがすごいですよね。また、差別に対しての問題意識も、SDGSに通じるものがあります。
さて、先の精神障害を抱えた女の子ですが、その後モンテッソーリが、小学校卒業の国家試験(イタリア)を受けさせると、健常児とされている子たちよりも良い成績を収めます。
これが、モンテッソーリの人生を大きくかけるきっかけとなります。
これにより、障害児を一般社会に戻すことに成功したわけですが、モンテッソーリはさらに、「なぜ、障害がない子どもが国家試験でより劣った成績をとったのか」疑問に感じだします。
観察のために健常児とされる子どもたちへの教育を見たいと学校に頼んでみましたが、断られます。
しかし、先の受験の話が話題となり、
1904年、ローマ大学の文化人類学科の学科長に任命され、またこの数年後、健常児とされる子どもと一緒に子どもの研究をしてみたいと思うことが思わぬ形で叶えられることになります。
1907年、ローマ貧困地区、サンロレんツォで、貧困の子どもたちの教育を任されることになったのです。そのエリアは非常に貧しく、スラム街のようで、衛生的にも良くなかったため、ローマ市は、再開発して新しく建物を立て直そうとていたのですが、
その間働いている親が面倒を見れない小さな子供達の面倒を見るように頼まれます。
そうして誕生したのが、有名な「子どもの家」です。
今や世界中にありますよね。
さてモンテッソーリさんの人生はこの後も、女性差別や思想との闘いでしたが、
彼女は本当に様々な差別や貧困問題に対して真正面に、強く立ち向かった女性です。
約120年も前から、そして女性や障害を持った人が社会には入れなかった時代、一人たくましく医者となり、シングルマザーとなったマリアモンテッソーリさん。
とてつもない苦労の人だからこそ、素敵な笑顔で子供達の新しい未来をきりひらいっていったのかもしれません。
The Montessori Toddler: A Parent's Guide to Raising a Curious and Responsible Human Being
- 作者:Davies, Simone
- 発売日: 2019/03/19
- メディア: ペーパーバック
【子供と感じる、七十二侯】2月18日〜2月22日 「 土の脉潤起 (つちのしょううるおいおこる)」
都会にいると、コンクリートに囲まれて、なかなか季節を感じずらいですね。
でも、やっぱり日本の季節の移り変わりは、ゆっくりと観察すると美しい。
子供の感性をやしなうためにも、ぜひ七十二候を楽しみたいなと、思っています。
第4候・季節の言の葉 雨水・初 2021年2月18日〜22日
「 土の脉潤起 (つちのしょううるおいおこる)」
冷たい雪が暖かい春の雨に変わって、大地に潤いを与えること。冬の間に硬くなっていた土も柔らかくなっり、眠っていた生き物たちもそろそろ目を覚まし始めます。
この頃食べたいのが、春の魚とかく、鰆(さわら)。
瀬戸内海に春を告げる魚として親しまれ、「生、煮る、焼く、上げる、蒸す」五報の料理に適する魚です。
暖かくなってきたし、そろそろ子どもと公園でピクニックしながら、土や草の様子の変化を楽しんで見ても楽しい時期ですね!
【モンテッソーリ著「子どもの発見」より 8】百均モンテは注意が必要かもしれない。
P.104位からのメモ&まとめです。
▽過去記事
仕事 :子どもの家の環境と生活
◉部屋に入る準備編:
・上着を自分で脱ぎ、小さなコート掛けに自分でかける
・低い手洗い場いは、小さな石鹸、爪ブラシ、小さなタオルが子どもが手の届くところに備わっている
(手洗い場がない場合は、洗面台で代用、ピッチャーを置く)
・壁にかかっている袋に中には、小さな服ブラシがはいっている
・できれば鏡の付いた小さな棚とクシを置く
(ここで髪型を整え、スモックに着替える)
◉部屋を整える:
・花瓶の花の状態で花の世話をする
・掃除・埃を払う(いろいろな種類の色とボロ布が壁に掛けられている、それに混じって綺麗な色の羽ブラシも、相補か床用のホウキ、などなど)
ちなみに、ホウキの柄は、美しい色で塗られているか、飾りの絵がついていて、ニスで光っている(←使い物のデザインも大事ということですね)
子どもは教室「家」を見張ります。3歳になったばかりの子どもは、ずれた椅子などを直し、それが「最も高度で気高い仕事」
なのだとか。
ものの声
美しいものの輝きや色や美しさが声となる
それらのものの招きに応じて活動を終えると、子どもは大きな喜びと満足感を感じます
そして知性を発達させると、もっと難しい仕事に取り組もうというエネルギーが生まれます
それよりも強い呼びかけは、複雑な順序のある仕事で、これらは集団の協力を要することもあります(食事の準備など)
モンテッソーリは、美しいものは、それだけで子どもを引きつけ、動かすと書いています。
最近は、「百均でモンテッソーリ」などという情報も多く、私も安くて済むならと、様々な百均グッツをつかってモンテッソーリの教具っぽく使っちゃっていますが、、、安さよりもちゃんと見た目の美しさにこだわらないと、ただの親の自己満足だけで、本質的なモンテッソーリとかけ離れたものになるのかもしれませんね。
才能
最も望ましい仕事は、一人一人の子どもの最大の可能性を発揮させるものです。
髪が自分たちに授けてくれた「才能」を完全に開花させたいと願うこと
モンテッソーリは、何かするにあたって、大事なのは「ただやる」ではなく、「目的を達成する」それも「精確」に達成することが大事と述べています。
完璧に行う動機を加えること、が大事。
例えば、水を注ぐにも、
コップとコップをぶつけないで注ぐ、
一滴も水をこぼさない
などがそれにあたります。
モンテッソーリ的、正しい手洗いとは?
最近、コロナで子供達もすることが増えた手洗いについても、
ただ綺麗にするのではなく、
「完璧に手を洗う」という能力を獲得するためになされるべきで、
そうすることでもっと有能になる、と述べています。
洗練された手の洗い方を身につけると、その子どもは、
単に手がきれいなだけというよりも一段優れた存在になる
と記しています。
運動の教育
この目的に沿った活動を好むだけでなく、細かい部分つまり精確に練習することにも魅力を感じる子どもの出現は、教育にとってもさらに広い分野を開きました。つまり、
「運動の教育」です。
明らかな動機とは、子どもの深部に潜む秩序への欲求を刺激すること。
【モンテッソーリ著「子どもの発見」より 7】そもそも「教具」がモンテッソーリ教育で大事な訳知ってますか。
P.103位からのメモ&まとめです。
モンテッソーリは、
「日常生活の練習」は、体操そのもの
といっています。
日常生活は、
新しいも尾を作ることではなく、
そこにあるものをそのまま保ち、
あらかじめ達成する目的が決まっているものを
知的に導かれて絶えず移動されること
だそうです。
言われてみれはそうだけれど、こういう分析ができるのが、モンテッソーリさんのすごい視点というか、観察力。
日常生活の練習は単なる筋肉の運動ではなく、
「仕事」
それは、疲れを知らずに働く筋肉を穏やかに働かせる仕事
知的な活動をすることが人間にとっての安らぎになる
だから、
子どもの環境に、
知的な活動を練習するための手段を提供しなければならない
モンテッソーリは、ここでモンテッソーリ教育で重要となる、教具の意味について
述べています。
つまり、教具とは、
筋肉を使うことが知的命令によるもので、人間が知的存在であり、
かつ筋肉を使って活動する生き物であるとすれば、
知的活動が人間に安らぎを与えるから、
教具がいる
と言っていることになると思います。
教具はモンテッソーリとつながっていますが、なんとなく使っていたり、なんとなく当たり前にモンテッソーリ=教具と思っていたので、
この理由は勉強になります。
モンテッソーリさんは、本当に論理的で、かつ常人でない観察力を兼ね備えた女性ですよね。
【SDGs】もっと広がって欲しいTable for two。先進国の一食で途上国に一食送られる
SDGsについて、色々と調べているのですが、
Table for twoという取り組みが、素晴らしいなと思いご紹介させていただきます。
Table for twoとは?
先進国で1食とるごとに 開発途上国に1食が贈られる TABLE FOR TWO(=TFT)プログラムでは、肥満や生活習慣病予防のためにカロリーを抑えた定食や食品をご購入いただくと、 1食につき20円の寄付金が、TFTを通じて開発途上国の子どもの学校給食になります。 20円というのは、開発途上国の給食1食分の金額です。
先進国で1食とるごとに開発途上国に1食が贈られるという仕組みです。
日本で20円なら、誰かのためになるとおもえば、
少しくらい一食に上乗せされていても、そこまで気になりませんよね?
これなら、
「寄付はハードル高い」
「社会貢献って?」
「SDGsってなに?」
という人でも、気軽にグローバルに社会に貢献できます。
まだまだ、取り入れてるところが少ないようですが、もっと広まって欲しいですね。
現在取り入れている企業は、以下に紹介されています。
ちなみに、大手スーパーのSEIYUや、デリバリーのOISIXも取り入れているらしいですが、一部商品だったり、あまり目立っていないのが残念です。
もっと、みじかなところで、例えばチェーン店のファーストフードとかで広がるといいですよね。
20円なしとあり、どっちか選べるようにしたり、包装を簡易にする代わりに、寄付に出来たり。
今回の情報は、以下の本を参考にしました。
写真も多くとてもわかりやすく事例が書かれているので、子どもにも読みやすく、社会の勉強として良いと思います!
この本、学校の授業とかでも使って欲しいくらいです!
今モンテッソーリ教育を勉強しているのですが、
こういう発想の元に、きっとモンテッソーリ教育も生きるのかなと、勝手にモンテッソーリ教育に期待しています^^
【モンテッソーリ著「子どもの発見」より 6】リトミックは本質的な意味がない?、子どもが走り回る理由は?
P.96位からのメモ&まとめです。
赤い人、白い人
発育に関わる生命=血液の循環組織に属する
外界と関係を持つことに関わる生命=神経系統に属する
赤い人=発達に関わる生命の活動 (肉体の材料)
白い人=環境と関係を持つことに関わる生命の活動(精神の材料)
赤い人と白い人の相互作用がなければ人体のいかなる部分も機能しない
五感とは:
小さな明かり取り窓のようなもので、それを通して生命が精神を形成するのに必要なイメージを吸収する
思考→行動として現れる
感情→芸術作品として現れる
運動しない生活→大脳や感覚器官、筋肉組織からも人工的に切り離される。
肉体が衰える
運動すれば良いという発想
しかしそれは、精神の表現を担う期間を、ただ血液を吸い込んで押し出すという、一種のポンプという次元の低い役割にしてしまった
(この辺りの話、わかるようでイマイチピンと来なかったです・・・)
モンテッソーリの思う「体操」〜リトミックは本質的ではない?〜
体操は、強いられた苦しみ(机に座っていること)に対する、強いられた治療(体操)
これはとても興味深いですね。
「教師は、苦しみと治療を規則に従う子どもに堂々としている」
といったことが述べられており、まさに日本の教育を、マルッと否定している感じがします。
ここで、ダルクローズによって始められた「リトミック」も紹介されています。
「子どもの人格を大いに尊重し、強い垂れた姿勢から身体をほぐす可能性をあたえる」
としたうえで、しかし
「リトミックは「誤って理解された生活への反動」であって、「生活そのものを修正するものではない」
と言っています。
子どもが動き回ることについて
「子どもが動き回って大変!」という思い、ママならきっと多くの人がしたことがあるのではないでしょうか。
そんな子どもの動き回ることについて、モンテッソーリの考えを紹介します。
子どものうちにある動き回らずにはいられない欲求
抑制力が発達してくると減っていく
抑制力は、動きへの欲求と調和しつつ
意志にしたがうように定められたシステムを作るようになる
子どもは成長するにつれ、さらに意志に従順な運動のシステムを持つ
そして他人の意志が子どもの意志に影響を与えると、動きへの欲求を抑えることができる
これが、動物を植物と分ける特徴なんだとか。
また、3歳の子は縦横無尽にとにかく走り回る、9歳は歩いて無駄に動かない、
それは、足の長さや作りも関係してるのだとか。
幼児は足の長さは32/100、大人は50/100。
子どもが走り回る理由は?
子どもが走る理由については、
子どもの足が短いのでバランスで普通に歩くのが大変。なので、それを隠すのに走っているのだとか。
年齢別の休憩姿勢
休息の必要性を感じると、上半身を地面に伸ばして足を上げ、
乳幼児は、上半身を仰向けに伸ばし、上げた足を掴むのが自然な姿勢。
さらに大きくなると、
3〜5歳ぐらいの子どもは、
うつ伏せに寝て、足を上げて、肘を上げて両肩を支えるのが自然な姿勢。
モンテッソーリ教室に絨毯が必要な訳
腹部を地面につける姿勢が好きな子ども。
それを促すために、モンテッソーリの教室には絨毯があって、自分で広げて使える用意なっているのだそうです。