「SDGs」と「モンテッソーリ」と「共育」と

モンテッソーリ、SDGsなどについて勉強している、1歳児 母です。 まだ人として未熟なアラサーな私。自分も子供と一緒に育ちたいなと思い「共育」(共に育つ)を意識して、日々楽しくすごせるよう模索中です。 1歳にして3匹の猫を手なずける「猫使い娘」。たまに3匹の保護猫たちも登場します。 アメリカやオーストラリアに住んでいたので、英語が好きです。モンテッソーリ、SDGsも英語の良い記事などの和訳を発信できたらなと思っています。

【モンテッソーリ著「子どもの発見」より4】教育する上での大人の正しい態度〜3歳までに自立を〜

 現在、マリアモンテッソーリさんの代表的な著書である「子どもの発見」という本を読んでいます。

少しずつ、モンテッソーリさんの生の言葉をご紹介できればと思います。

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モンテッソーリの語る「自立」

 モンテッソーリは、

自立していないければ、自由ではない

したがって、自立を達成するためには、子どもたちは幼児期そのものお初めから、個人の自由を能動的に表現するように導かれなければいけません。 

 

離乳は、最初の自立ですが、離乳については、

危険な道を歩き始めるスタート

生存の手段が増えること

述べています。

印象的だったのが、

子どもは3歳になったら大部分のこといついて自立して、自由になっていなければなりません。

と言い切っていたこと。

 

また、本質的な自立を、現代の人はわかっていないと述べており、モンテッソーリのいう自立とは、

 

他人から助けられたのではなく仕えられた人は、ある意味で自分の自立を損なわれた人です。

「私は無力ではないから仕えられたくない。

しかし、お互いに助け合わなくてはならない。

私たちは社会生活をしている存在だからである」

という考えは、人間の尊厳の基礎となっているものです。

自分が本当に自由だと感じる前に、このような考えを身につける必要があります。

 

と述べています。

 

また、幼い子どもを教育する上で有効な行為として、

 

自立への道を援助する物

子どもが一人でやれて、その能力の不足が他人の負担位ならないようなもの

試行錯誤しながら自分の欲求を満足させようと努力することなどを学ぶのを援助すること

と述べていました。

最後のところは、自分の子育てにも こういう姿勢で行えばいいんだなと、参考になります。

 

私たちは子どもに仕えます

生まれつきやり方を学ぶ手段をすべてそなえています

 

また、多くのママが苦労するであろ子どもの食事との時間に関しては、以下のようにいっています。

スプーンの使い方を教えたり、使っている様子を見せようとしない母親は、いい母親とは言えない

尊厳をそこなっている

 

教えるのは教育者の仕事であり、やっているのは召使の仕事です。

それは、劣っていて簡単な仕事です。

簡単なだけでなく、危険でもあります。

それは道を閉ざし、発展する生命のいく手に生涯鬱を置き、当面の成り行きを妨げるだけでなく、将来にわたって後遺症を残します。

 

召使に頼りすぎると、召使の奴隷になり、ないもしないため筋肉が弱くなり、最終的には自然が与えてくれた活動能力を失う

 

と言っています。

 

無用な援助を受ければ受けるほど、生来の力の発達が妨げられる(p.75)

 

自分の力で行動する人間、自分の力を自分の行為に使う人間は、自分自信をコントロールし、自分の能力を増大させ、事故を完成させます。

将来の世代に属する人間は、自立していて、自由である限り、強い人間になるでしょう

 こちらの章は、タイトルはとても印象的だったけれど、例えがなかなかわかりずらかったです。

 

私たちの子どもたちに対す賞罰(p.75)

ここでモンテッソーリは、

静けさは私たちの子どもの特徴

と述べています。

 

この章ではとても興味深いエピソードがいくつか紹介されています。

簡単にいうと、

「良い子にしてた子には、メダルを、悪い子には罰を」

という考えは良くなく、子どもは環境がよければ勝手に成長するということ。

ちなみに、モンテッソーリ自信も以前は、褒めつこと、罰することが子どにもっと作業をさせたり静かにさせるのに大事だと思っていたそうですが、それは愚かだったと述べています。

 

子どもは機会さえあたえられれば自分の内面深くの欲求に自発的にしたがって自分をたかめていく

 

今話題の自尊心は、外的な賞賛によって励ますのは違うということを述べています。

これは、最近日本でブームだったり、良く教育本でも言われている「褒めてのばす」とは全然ちがいますよね。

 

では、暴れたり問題行動のある子にはどうせっしたのか。

 

暴れる子をおとなしくさせる方法とは?

では、どうやって問題児を規律のある子にしたのでしょうか。

 

方法は、

部屋の隅っこに座らせ、

好きな教具を与えて、

周りの生徒を観察させる環境を作っていたそうです。

また、その子には赤ちゃんを相手位するように接し、その他の子には対等な人間に接するかのように接する

 

これだけの方法しか書かれていませんでしたが、それで自然と自分にも教師にも優しい子になったのだとか。

 

成長の自由(P.78)

 

印象的だった言葉は

子どもは成長する身体と展開する精神をそなえています

 

ただ、その能力が自然に出るのを待たなくてはなりません

 

環境は明らか二次的な要素

 

成長の源は子どもの中にある

 

「自由」という言葉については、

正常な発達を阻止する障害物から子どもの生命を「自由にする」という深い意味で使う

 

子どもの使命とは?

 

モンテッソーリは、子どもは大きな使命を持っていると語っています。

成長して一個の人間になること

 子どもはその使命と内部の欲求に気づいていないし、

大人はその欲求を推し量る能力をほとんど持っていない

 

子どもを自由にするこということは、

幼い生命の展開を邪魔する多くの誤った状況を可能な限り取り除くこと

 

「生命の展開」という言葉、なんだか素敵ですね。展開って、生命には日本ではあまり使わないな。

みずみずしく生き生きと花開いていくイメージがわきます。

幼児期初期の子どもの内部にある秘められた欲求をより深く研究することによって、

私たちがふさわしい援助をあたえられるようにすること

 

が、自由にするということ。

 

ここで、モンテッソーリが、観察を重要視している理由がだんだん繋がってきますね。

 

自由にするために観察が必要で、自由が子どもには大事で。

 

今日はこの辺りで。

とりとめなくメモのように書いてしましたが、

読んでいただけた方がいたのなら、ありがとうございました。

 

 

 

子どもの発見

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