教育だけじゃない。未婚のシングルマザーだったモンテッソーリさんに注目すべき理由〜SDGs発想を120年前に持っていた〜
藤井聡太さん
アマゾンの創業者ジェフ・ベゾス
アーティスト テイラー・スウィフト(個人的にデビューからの大ファン)^^
これら多くの著名人の共通点は、
今話題のモンテッソーリ教育。
もうすぐ映画『モンテッソーリ 子どもの家』も公開されるので、より親や教育者の間ではモンテッソーリ教育に関心が高まっているのだと思います。
私も、娘を育てるにあたり、モンテッソーリ教育を勉強しているのですが、
その中で最近すごく思うのが、教育だけでなく、様々な現在の社会問題に、
モンテッソーリさんそのものがとても注目すべき存在なのでは、という点。
特に東京五輪にも森会長の「女性は話が長い」発言で問題で影響を与えている女性蔑視問題、
SDGsでも重要とされている社会格差や差別をなくすこと、
これらをまだ1900年代の初期に変えようと努力していたのが、モンテッソーリさんなんですよね。
モンテッソーリは、無数の直談判の末、ようやく初めで学校で医学を学んだ女性
マリア・モンテッソーリさんとは?
マリア・モンテッソーリ(1870-1952)
マリア・モンテッソーリは、1870年8月31日にイタリアのイタリアの中上流階級の一人娘として生まれました。
5、6歳のときに、イタリアローマに移住しましたが、引越しの目的は、マリア・モンテッソーリに最良の教育を受けさせるため。
父親は彼女に学校の先生になってほしいと望んでいたようですが、理数系が得意だったので、女性には珍しく工業学校へ進みました。
この時代、女性が家庭で主婦とならない場合、教師か看護師にしかなれなかったそうなので、とても大変だったようです。
男子校のようなところだったので入るのも相当苦労したそうですが、すぐに辞めてしまい、その後はより、生物学への興味を深め、医学を勉強しだします。
この時代は、まだ医学は女性向けではなかったので、大学入学は断られたのですが、
意志が強いマリアモンテッソーリさんは、医学者代表のところを何度も訪ね、交渉
そして、交渉、となんども何度も繰り替えし、最終的に入学が許可されました。
彼女の父は医学部に行くのに反対しており、お母さんは応援してくれていたそうです。
入学後も、たった一人の女性だったので医学部は大変で、
男性の集団を相手にしていた彼女は、からかいやいじめのの対象とりました。
また、女性だったのでという理由で解は、男子に混ざってできず、ひとりでやるなど、大変な思いをしたようです。
しかし、どんな困難があってもとにかく突き進む人(かっこいい!)モンテッソーリは、
フランスで最初の女性医師の一人になりました。
その後、そのような男性の中での努力が認めたれて、
ベルリンで開催された女性の権利を考える国際会議のイタリア代表として、ベルギーに渡り、女性の地位を上げることの大事さを訴え、女性も男性と同じ給料ということを強調したそうです。
その後も、生物学、心理学、文人類学などを幅広く学び
1897〜1898年頃には、ついに医学部の精神科のクリニックで、助手として働きだしました。
この一連の苦労からも、男性社会で女に対する差別の中で、女性として一人戦ってきた姿勢がわかりますよね。
しかしそれだけではありません。
マリア・モンテッソーリは、実は未婚のシングルマザーとしても苦労し、約10年間自分の子供と一緒に暮らせなかったという苦労をした人。
その後、息子のマリオ・モンテッソーリと共に暮らしだし一緒に世界にモンテッソーリ教育をひろめましたが、それまでは別々に暮らしていたのです。
また、クリニックでは障害を持った子供たちを目の当たりにし、非人間的な扱いにショックを感じ、どうにかそれを変えようとしました。
当時、障害を持った子供は、健常児と別に隔離されていたそうです。
1898年、マリアモンテッソーリは、学会で病院にいる障害児とされているこの手当には、医学的介入だけでなく、教育介入が必要だ、障害がある子供は社会に戻さなくてはいけない、と訴えました。
その後、精神障害のある女の子の面倒を見ることになるのですが、
マリアモンテッソーリは医者であり教育者ではなかったので、
フランスで、精神的な問題をするのに関わっていた、イタールとセガンの教育を参考にしました。
イタールは、アベロンの野生児を育てた人として知られており、また、耳が聞こえない人、しゃべることが難しい人の教育者としても有名だった人物です。
セガールはイタールの弟子で、感覚教具を開発して教育に関わっていました。
ちなみに、ちょうどこの頃先に紹介した息子を出産したようですが、この時代、未婚の母は禁じられていた存在で、それでも出産した彼女の人としての意思の強さがすごいですよね。また、差別に対しての問題意識も、SDGSに通じるものがあります。
さて、先の精神障害を抱えた女の子ですが、その後モンテッソーリが、小学校卒業の国家試験(イタリア)を受けさせると、健常児とされている子たちよりも良い成績を収めます。
これが、モンテッソーリの人生を大きくかけるきっかけとなります。
これにより、障害児を一般社会に戻すことに成功したわけですが、モンテッソーリはさらに、「なぜ、障害がない子どもが国家試験でより劣った成績をとったのか」疑問に感じだします。
観察のために健常児とされる子どもたちへの教育を見たいと学校に頼んでみましたが、断られます。
しかし、先の受験の話が話題となり、
1904年、ローマ大学の文化人類学科の学科長に任命され、またこの数年後、健常児とされる子どもと一緒に子どもの研究をしてみたいと思うことが思わぬ形で叶えられることになります。
1907年、ローマ貧困地区、サンロレんツォで、貧困の子どもたちの教育を任されることになったのです。そのエリアは非常に貧しく、スラム街のようで、衛生的にも良くなかったため、ローマ市は、再開発して新しく建物を立て直そうとていたのですが、
その間働いている親が面倒を見れない小さな子供達の面倒を見るように頼まれます。
そうして誕生したのが、有名な「子どもの家」です。
今や世界中にありますよね。
さてモンテッソーリさんの人生はこの後も、女性差別や思想との闘いでしたが、
彼女は本当に様々な差別や貧困問題に対して真正面に、強く立ち向かった女性です。
約120年も前から、そして女性や障害を持った人が社会には入れなかった時代、一人たくましく医者となり、シングルマザーとなったマリアモンテッソーリさん。
とてつもない苦労の人だからこそ、素敵な笑顔で子供達の新しい未来をきりひらいっていったのかもしれません。
The Montessori Toddler: A Parent's Guide to Raising a Curious and Responsible Human Being
- 作者:Davies, Simone
- 発売日: 2019/03/19
- メディア: ペーパーバック