【モンテッソーリ著「子どもの発見」より5】理想のモンテッソーリ教師像
P.80位からのメモ&まとめです。
幼児の真の欲求を満たすためには、ふさわしい環境を作る必要が有る。
どのような「環境」がよいのか?
「日常生活の練習」をするのに必要な条件と道具
・楽しそう
子供の身体の大きさに見合った家具
・子供が決められた目的を達成するために使うことのできる「もの」がある
・子供が手を洗うことのできる洗面台
・床をはくためのホウキ
・服をきれいにするためのブラシ
・家具をきれいにする道具
・雑巾
・はぶらし
とにかく、
すべてものが子どもを行動するように、達成するべき実際的な目的をもってほんとうの仕事をするよういさそいます。
だそうです。
その他にも、絨毯は使うとき広げて、終わったらたたんで戻す。
ワンチョンマットも同じ。
食事も礼儀正しく食べ後片付けを。食器も洗って、一つ一つ食器棚にもどす。
そして、これらの仕事に段階があります。
どのような順番かというと、
だんだん難しくなるだけでなく、品格が徐々に育つことも要求します。
これらの仕事をするためにはいた威力が必要ですし、やりとげるためには責任も要求されるからです
先の仕事は「日常生活の練習」と呼ばれ、子どもの家では、家事はすべて子どもたちに任されているそうです。
モンテッソーリ教育で育つ子どもは、
・家庭の義務に熱中し
・最新の注意をもって実行し
・一人一人が落ち着きと品位をそなえる
ようになるとのこと。
日常生活を教えてくれるもの他に、
知性を徐々に発達させて文化にいたるのを助けるたくさんの「もの」があります。
たとえば
・感覚教育の教具システム
・アルファベッドや数のための教具
などは「発達のための教具」
とよばれるそうです。
そして「環境」というときには、すべてを含むことになります。
モンテッソーリが理想とする教師の教え方
モンテッソーリ教師に求められること
・最初に子どもを援助する
→様々なものの中から何を選んだら良いか方向付けし、選んだものの正しい使い方を教える。これは、「秩序だった生活と環境における活動への手ほどきをしています」
・それ以外のことはしない
それ以降は子どもに選ばせる
ここで、モンテッソーリは、
「子どもは同時に様々な欲求をもつ。一人が一つのものを使うと、もう一人は別のものを使う」
といっているのですが、
うーん、我が子や児童館の子達をみると、逆なきがする、、なぜだろう。
他の子が遊ぶおもちゃで遊びたがる子、多くないですか?
と疑問を抱えたまま次へ。
教育の置ける自然(p.82)
アヴィロンの野生児についての、イタールの著書が紹介されています。
科学的教育が進歩をとげられたのは、この子の存在があったからだそうです。
この子は話せなかったのですが、それは耳ではなく教育の不足だと考えたイタールは試行錯誤して少年と時間を共に過ごす様子が紹介されています。
この中で、
「まず教師が生徒に合わせる。
次に来る新しい生活を魅力的なものいして、その魅力によって社会生活に適応させようとした。
厳しく押さえつけることで、圧迫感や苦痛を感じることがないようにした。
これらすべては、教育の大切な原理の全体を成立させるもので、教育一般に通用することであり、幼児教育全般にも適用することができる」
と、述べています。
また個人的に興味ぶかかったのが、自然との関わりの大事さについて述べていたこと。
このアヴェロンの子は、叫んだり走ることしかできず歩けなかったり、と人間の社会で制約が多く、
「社会生活がいかに多くの制約と諦めの上に成り立っているか雄弁に語っている」
とも記されています。
最近は自然と触れあわせようと、鉢植えを与えたりしていますが、そうではなくて
自然に生活する必要が有る、
と記載されています。
共同生活で閉じ込められている子どもを、できるだけ解き放つことが必要。
結構で丈夫な子は、自然にもっと晒されると丈夫になる。
こちらの章では、なかなか大事ですが、まとめるのが難しいことが書いてあるので機会があれば一読をおすすめします。(88-89)
最後の言葉で言うと、
私たちは子どもに教えるよりも、心を修復しなければなりません。ーーーーー
意識されていない心の痛手や精神的な病気を治さなくてはなりません
と書いてあり、おそらく、文明の中で自然に対して残酷になったりしている心に対しての話だと思います。
生き物への世話
子どもが思いやりを持って生き物の世話をするのは、その魂の最も生き生きした本能の表れの一つです
今日は、一旦ここまでにします。